日々の気づき

生かされているということ

こんにちは、山野麻沙子です。

 

最近は山登りも自粛規制かかり、好きな登山も当分行けないと思いますが、私はなぜよく山に登るのか考えてみた。

山に登ると気づきがあります。

 

山頂の眺めもいいのですが、そこである意味、

瞑想状態になると

 

「自分なんてちっぽけなものだな・・」と感じることができるんですね。

 

私は、なにかむしゃくしゃしたり、悩みがあったり、ストレスがたまると行きたくなるのが登山です。

 

山を歩いてるとそんな悩みやストレスも消えていきます。森の空気も気持ちいいですしね。

やっと天辺に着いてから

お湯を沸かして、おにぎりにかじり付く。

沸かしたお湯でコーヒーを淹れます。

あぁ、幸せだな〜

そして、しばしボケ〜っとするのです。

 

山頂から見下ろす模型のような街の中で普段は生活してるけど、その中で人と笑ったり、争ったり、喧嘩したり、悲しんだり、泣いたり、喜んだり、愛し合ったり、悪いことしたり、悔しがったり、死にたくなったり、もう人生詰んだな、と思ったりしても、

 

そんなことはこの宇宙を作った神様からしたらちっぽけなことであり、私たちはすべて神の掌の上を転がされているだけの存在なんだよねって・・思うんです。

 

この宇宙に比べれば私たちなんてちっぽけなものなんです。

 

だからこのちっぽけな存在同士が妬みあったり、競争したり、文句いいあったりしていても、そんなの大して変わらないし、どんなにお金持ちでもどんなに貧乏でも神様からしたら私たちなんて大して変わらないものなんですよね。

 

すべては神の掌の中で起こっている出来事なんです。

 

そう思うと、悩んでいたことやストレスも吹き飛んでしまいます。

そして

むしろこんなちっぽけなのに何で今まで無事に生きてこれたんだろう?とさえ感じてしまうのです。

 

私たちは生きているのではなく、生かされている・・と思うんです。

 

今回の感染問題でも、高齢者の持病を持っている方が感染しやすいと言われていましたが若者も0歳児も持病もないのに亡くなる方がいたりしています。高齢者とか持病持ちとかそういうのはもう関係なく神のみぞ知るという感じですよね。

 

心から亡くなられた方にはご冥福をお祈りいたします。

 

今日、私たちは生きている。でも今日という一日を生きれなった人もいるのです。

 

明日生きたかったけど明日の一日を生きれなかった人もいるんです。

 

私たちは自分たちの力で生きてると思うなんて傲慢すぎるとも思う。

 

だから、どんなことが起きても生きていることに感謝しよう。

 

朝なにごともなく目が覚めた時に「今日も生かさしていただきありがとうございます」と言いたい。

 

ではどうもありがとうございました

 

 

 

 

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