今回は人間とは霊性な生き物なんだ・・という事に目覚めさせられたお話です。
私自身
10年前に飲酒と暴食の不摂生が祟り、いつも倦怠感と抜けない疲れ、仕事の忙しさなどで
体調が悪くなりアレルギー体質と右の胸の下にシコリが見つかったのです。
なんだかそのシコリは硬いし、日に日に大きくなる。5センチくらいはあったと思います。
でも医者が嫌いなので私は病院には行かなかった。
もしやガン??いや肝硬変かも?色々頭の中に駆け巡った
毎日毎日、不安になっていたそんなある日・・
当時、付き合っていたパートナーの家に置いてあった一冊の本が私の目に留まった。
よく、
人生に起きる悩みや不安な出来事は、必ずその出来事を解決するものや人が現れる・・・
といいますが、
現実にその悩みを解決し、払拭するものが現れた・・
その時の衝撃は、何かの洗脳が溶けたような不思議な感覚だった。
日月神示との出会い
この不思議な著書とは、中矢伸一さんの
「日月神示に流れたるマコトの食の教え」というものでした。
はじめはなんだか宗教っぽいし、胡散臭いな~と感じて開いた本なんですが、、
途中からもう一気にグイグイ読み進んでしまい
ストン!!と腑に落ちる感じの不思議な感覚を味わったのです。
今までこんな本に出会ったことはなかった。そんな感じですね。
これを実践すれば胸のシコリがなくなるだろう・・と
なぜだか不思議と確信が持てたのです。
そこに書いてあったのは、
”食で「神」と「獣」が分かれ 人の食べるものは定まっている”という話
「神示:
牛を食べると牛になるぞ
猿は猿、虎は虎となるのざぞ。
臣民(シンミン)の食べる物は
定まっているのざぞ。
いよいよとなりて
何でも食べてならぬなりたなら
虎は虎となるぞ
獣と神との別れると申してあろうがな
縁のある臣民にはしらせておけよ
日本中に知らせておけよ
世界に知らせてやれよ」
これは何を指しているのかというと
食律という概念があります。
食べると人に体に良いものと、悪いものがあり
食律が乱れる社会となった現代は獣と神との繋がり
獣と神の分かれると示されている
獣とは霊性が落ちる事で神の気が抜けて
〇だけとなり
﹅が抜けた野獣性人間の事
現代人の「〇」に「﹅」がしっくりと収まった状態を
神人合一の神人のことです。
今年や来年には完全に二極化する
遅くても2020年という話もある
二種類の人類になる訳、即ち、獣と神です
四つ足は食ってはならん
日月神示・・・・
何なのだろうか・・
牛を食べると牛になるぞ
猿は猿、虎は虎となるのざぞ。
動物の肉を食べるという事
今までそれはあたりまえの行為だと思い込んでいた自分に気づかされたのです。
でもそれはあたりまえじゃないし、共喰いになるんだと気づかされた。
親の代から、普通に食卓に出てくるこの動物のお肉・・・
美味しい美味しいって食べてるこのお肉に疑問が湧いてきたのを覚えている・・・
食にまつわる日月神示のメッセージは心に響く
医学は進んでいるとは言ってもガンやら糖尿病や、脳卒中の患者の数は減っているようには思えない現代医学の治療法・・・
むしろの死亡者のが増えている気がしますが。
病院に行けばすごい数の病人がいて、診察するのにも半日かかるのはあたりまえの状態です。
私も以前、アレルギーが全身に出てしまい近くの大きな総合病院に行ったんですよね。
朝の10時頃に病院に着いて、
1時間以上待って、診察は5分もしないで終わる‥
というなんとも不甲斐ない気持ちで薬をたくさんもらって病院を後にした時がありました。
医者は患者にただ薬を渡していればそれでいいのだろう‥そんな風にも感じました。
患者のメンタル的なことには一切無視。
この症状にはこの薬ね!みたいな・・・
その時に、病院は救急の時以外はあまりお世話になりたくない・・・と私は思いました。
自分で病気は防ぐ、セルフケアに考え方をシフトチェンジした方がいいなと直感しました。
でも最近は本当に自分で治す方が増えていますね。
意外と世の中の大半の病気ってシンプルに生きれば治せるのではないか?
そんな感じにも思えるのです。
日月神示はそんなことを伝えてくれてるのかもしれない・・
「悪い食物、悪く食べるから、悪くなるのぢゃ」
「食いて生くべきもので人殺すとは何事ぞ」
「そなたは、食べ物は自分でないと思うているが、食べるとすぐ自分となるではないか」
「口から入るもの気つけよ、いくさ(戦)起こるのぢゃ」
「腹八分、二分は先ずささげよ。運ひらけるぞ。病治るぞ。」
「人は思うておるより少しの食べ物で生きられる。食べるということはその生命をいただくことじゃ。」
「食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方してみなされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの、理窟悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。」
「腹一杯食べてはならん、死にゆく道ぞ、二分を先づ神にささげよ。流行病は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。」
「食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。」
「臣民一日に二度食べるのざぞ、朝は日の神様に供へてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、それがまことの益人ぞ。」
「みなみな気つかん理、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。」
「四ツ足を食ってはならん。共喰となるぞ。草木から 動物生まれると申してあろう。神民の食物は、五穀野菜の類であるぞ。」
「日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆 人民の食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ。日本人には肉類禁物ぢゃぞ。」
「日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物間違へるでないぞ」
「獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな」
「一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。」
「ひふみの食べ方 心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉しウレシで食べよ。天国の食べ方ぞ。」
「霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。」
「食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養、大切」
日月神示はその人その人で八通りに読めるぞとあります。
その時の心のあり方、知識などによって変化し、読めば読むほどその本当の真髄がわかってくるという。
これらはどのように読めたでしょうか?
様々な論争がある食事について、日月神示はこのようにも伝えています。
「そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。」
「理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。」
すごくわかりやすいメッセージですよね。
病気はあなたの食べ物の間違い。
47回よく噛んで食べる。
遠くて近いものを選ぶ。
これを私は実際に半年間実践してみました。
もちろんお酒も、たばこも一切辞めてですよ。
食事を肉食を一切止めて、粗食に変えたのです。
実践していると
3か月頃には体が疲れにくくなった。
脚のむくみが消えて雲の上を歩いているようにさえ感じた。
スクワット運動が全く疲れない。便が増える。
そして、半年程すると、右胸下のシコリが消えたのです。
これはびっくりしましたが実話です。
クスリを入れて治すのではなく、自らの体の毒をすべて出すことで治す。
日月神示の食に関するメッセージに私は助けられました。
体の不調があったり腫れがある場合は自分を信じてセルフケアしてみてもいいかもしれない。
病気の原因は飽食だともいわれてる。
今は何でもすぐに食べ物が手に入るし、体が飢えることもない・・
幸せですよね、ほんと。
しかし世の中にある食べ物には様々な食品添加物、農薬、化学物質が織り交ぜられているわけです。気にしない人は気にしないかもしれませんが、
それをむしゃむしゃたくさん食べて
結果、体毒が体に溜まりいずれ病気として現れる。
わかりやすいですね。
これからは少食にして体毒を出してラクぅ~にいきましょう
ありがとうございました。